\\看護師派遣のバイトに行ってみた体験談…!//

軍艦島は日本の未来? 元島民が語った閉山から世界遺産になるまで

はろー!chikaです。

日本一周ヒッチハイクの旅 IN長崎

フルーツバス停通り編に続きこちらも書いていきます。

今回の旅で端島へ行ってきました。

「端島?????」

頭にハテナが浮かんだ人も多いかもしれないですけど、これが正式名称で通称が

「軍艦島」

端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)にあるである。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していた。しかし、1974年昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている[2]。2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された[3][4]

この引用文章に記載している通り、今は無人島。
昭和30年頃の最盛期には幅160m 長さ480mの島に約5200人もの人が住んでおり、人口密度は東京都の約9倍を越え、世界一と言われていました。

なぜ、軍艦島と言われているのか。

それは石炭を採取するのに埋め立てを6回繰り返し、島民のために建てられた高層住宅地が立ち並んでいる、そんな島の姿が軍艦に似ているからだそう。

全盛期には小中学校、幼稚園、病院など生活するに必要な施設から、映画館、スナック、パチンコなどの娯楽まで揃っていたとのこと。

生活水準は非常に高くほどんどの家庭にテレビがありました。

それを表すのがこの写真

ガイドの坂本さんが持つこの写真はテレビのアンテナを撮影したもの。
たくさんのアンテナがテレビの所有率がわかります。

 

ーそんな軍艦島が突然閉山したのは昭和49年。
国がエネルギー源を石炭から別のものに転換すると発表したことがきっかけらしい。
(ツアー中に質問したところ、石炭はまだ残っていたが奥深くまで達してしまい続けるには危険すぎると会社が判断したとも言われているらしい)

黒字経営だっただけに突然の発表に当時の島民は混乱。
家族同様過ごしていた島民全員が3ヶ月後には島を離れ、無人島にしなければいけなかったという。

「閉山した」と聞いた時は、「そうなのか」とただ漠然と思っただけでしたが今回ツアーに参加して当時の話を聞き、当時の島民の気持ちに少しだけ触れることができました。

 

軍艦島へ

無人島となった軍艦島、3年前に世界遺産となり今では観光名所になっているのです。

この軍艦島の存在は知っていたけど、今回日本一周するにあたって友人から

[speech_bubble type=”drop” subtype=”R1″ icon=”1.jpg” name=”友人”]軍艦島は行った方がいいよ!! [/speech_bubble]

とオススメされて行ってきました。

 

軍艦島へ行く方

軍艦島は長崎市にあります。

いま軍艦島へはツアーでしか行くことができません。
ツアーを組んでいる会社は5社あって、各社1日2回ツアーが実施されてます。

私たちが使ったのはシーマン商会
ガイドさんが移動中のフェリーの中から軍艦島に上陸してからもたくさん解説をしれくれるんですが、運良く担当してくれたガイドさんが「軍艦島を世界遺産にする会」の会長 坂本さんでした。

軍艦島に住んでいた元島民である坂本さんのガイドは現実味があって、気持ちがこもっていて心を動かされました。

ちなみにシーマン商会は一度のツアーで乗れる人数が他の会社よりも少なく、船内の座席は1階部分のみ。
軍艦島が近くなって来た時に順番に2階の開放部分へ移動でき、撮影タイムを設けてくれるのがうれしい。

1階2階ともに座席になっているとフェリーから見える軍艦島が席によっては見づらく、写真撮影も難しい。

島に上陸できた時も大人数だとガイドの話が聞こえにくかったり、移動が大変なので、その点ではシーマン商会を選んでよかったなと思いました。

 

当日の流れ

シーマン商会のフェリーに乗るためにこの地図付近の集合場所へ。

 

受付をしてツアー料金、島への入島料を支払います。

出発して元島民の坂本さんのガイドが始まります。

てっきりフェリーに乗っている間はただ島に着くのを待つだけかと思いきや、フェリーから見える島湾施設の解説もジョーク交じりで解説してくれて、あっという間に45分経って軍艦島がすぐそこに。

この日は天気が良く上陸できるとのこと。

 

上陸してまず最初のポイントまでそのまま移動です。

このようなポイントが3ヶ所 、No,1〜3までありそのポイントでガイドさんからの解説や写真撮影タイムが行われました。

 

写真中央にある階段。
これは二坑口桟橋へと繋がっている階段です。

この階段を登る時、仕事の危険に対する恐怖と緊張を抱えながら足を運び、
降りる時は安堵感に包まれて笑顔を浮かべたそう。

 

軍艦島には30号棟という日本最古の鉄筋コンクリートの建物があります。
今となっては鉄筋がむき出しでサビついていますが、これがの住居が台風から鉱山施設、仕事場を守ったのです。

 

これは7階建ての小中学校。
狭い島に学校と鉱山施設が隣接している状況で子供達は勉強をしなければいけなかったため、それらの間には消音器が設置されていました。

ガイドの坂本さんが話していた内容がすごく記憶に残っています。

「以前は消音器が必要なくらい大きい音が響き渡っていた島は今何が聞こえますか?
聞いてみてください。
今聞こえるのはシャッターの音ばかりです。
写真に残すのが悪いとは言わない。
でも、せめて自分の目でもこの端島を、今の端島を見て記憶に残していってください。
エコだ、環境保全だと言っている今の世の中は何を目指しているのか。
エネルギー資源が変わっていく世界、日本。
これからどうなるのか。
みなさんはこの端島が日本の過去だと、廃墟だと、そう思って見に来ていると思います。
ですが、どうでしょう。
もしかしたらこれは日本の未来かもしれません。」

私は本当にそう思いました。

なんでも便利になっている今の時代。
これはいつまで続くんだろうと思っていた自分いたけど、どこか現実味がなかった感情。

彼の言葉を聞いてこれからの日本の未来、地球の未来をさらに深く考えさせられました。

 

世界遺産になるまで

軍艦島が世界遺産に登録されるまで15年の年月がかかりました。

なぜ世界遺産登録することになったか。

これは元島民の「故郷を守りたい」という気持ちでした。

軍艦島が閉山することになり、朽ち始めていく島。
誰も住まなくなった建物はゴミとなったのです。

軍艦島を壊すという話が持ち上がった時、元島民からすると
島を壊す=島民の故郷がなくなる
と感じたそうです。

坂本さんは「故郷を残すには世界遺産に登録してもらうしかなかった」とお話されました。

今は廃墟を見にいく観光地として有名ですが、立場が違えばそこは故郷であると知れたのはツアーに参加したからです。

建物は壊れ続けていますが、これから数年後には遊歩道を伸ばしさらに歩ける範囲を拡大していくそう。
ぜひ訪れてもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です